【2章.パンデミックになる前の対処】 〜プレ・パンデミックワクチン接種の是非について、トコトン議論を交わして決定して頂きたい〜
まずは、パンデミックが日本を襲った場合の他国からの支援について触れておきます。震災やテロなど、局地的に発生する天災・人災の場合は、日本国政府の支援要請次第では、各国からの支援を期待することができます。しかし、パンデミックでは世界同時多発的に発生することが十分に予見されており、他の国からの支援は期待できないと考える必要があります。
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インフルエンザの季節になると、ワクチンの接種が広く行われています。このワクチンは、その年に流行することが懸念されるインフルエンザを予想し、あらかじめ 「現存するインフルエンザウィルス」 から作り出したものです。
ところがH5N1ウィルスは、未だにというか、これからもずっとなわけですが、常に進化の途上にあり、1年の間に、人でいうところの100万年分の進化を成し遂げています。これはH5N1ウィルスに限ったことではなく、DNAをもたず、RNAだけで遺伝子のコピー(転写)を繰り返すウィルスの特徴です。人のようにDNAを持っていれば、コピーの際にミスが生じたとしてもそのミスを修復する機能がはたらくのですが、RNAしかもたないH5N1ウィルスは、コピーのミスを修復できず、ミスがミスを生み、別の遺伝子へと進化を遂げていくわけです。
そういうわけで、現時点では鳥から人間への感染能力しか持たないH5N1ウィルスであっても、人から人への感染能力をもった他の遺伝子と混じり合うことで、亜種として新たに生まれ変わり、H5N1ウィルスの殺傷能力を持ちつつ、A香港型インフルエンザのような人-人の効率的な感染能力を兼ね備えることは、時間の問題になりつつあるというわけです。
ところが、新たに生まれた亜種のH5N1ウィルスには、既存のワクチンが有効であるかどうかは未知数となっています。現時点でのH5N1ウィルスと、新たに生まれる亜種のH5N1ウィルスでは、全く同一の性質をもつかどうかが不明なためです。このため、新たに生まれた亜種のH5N1ウィルスに有効なワクチンを新たに作り出すには、6か月を要すると言われています。ではこの6か月という期間は、待つことができる期間なのでしょうか。
ここに国立感染症研究所がシミュレーションした数値があります。 想定としては、「ビジネスマンが海外で感染して帰国し、翌日から都心の職場へ電車で通勤した」というものですが、この数値を見る限り、6か月間も待てそうにありません。
会社員の感染後2日目 |
209人が感染 |
会社員の感染後4日目 |
12,691人が感染 |
会社員の感染後7日目 |
249,469人が感染 |
少なくとも感染が判明してから、外出することは控え、ウィルスへ接触する機会を低減させたいものですが、このような「命令」はいつ発出されるのでしょうか。WHOでは、各国のパンデミックに対するフェーズを発表しています。現時点では、パンデミックの前の段階として「アラート期」と位置づけており、その中でも「アラート期フェーズ3」 という、鳥から人への感染が確認された状態としています。
今後WHOのアラートフェーズとしては、4⇒5⇒6 と遷移することになり、6の状態を、パンデミック期、つまり、感染症が蔓延した状態と称しています。このフェーズ指定が速やかになされ、地震速報のように、周知を徹底できるしくみがあれば問題はないのですが、現時点では、そこまで整備されているとは言い難い状態です。
WHOは、アラートフェーズ4に遷移した疑いがでた場合、発生国の調査を行うこととしており、フェーズ指定するまでには、早くとも数日、場合によっては10日もかかるようなことになりかねないという最悪のケースも想定されます。もちろん、この間もウィルスが症状の悪化を停止してくれるはずはなく、前述のとおり、蔓延していく懸念が十分にあるわけです。
では、打つ手は何もないのでしょうか?
そこなんです。実は、可能性は100%ではないものの、事前に打っておくことで多少の効果が期待できる対策がないわけではないのです。それはプレ・パンデミックワクチンといいます。
パンデミックワクチン(「プレ」がついていない方)とは、パンデミックを引き起こすH5N1亜種ウィルスに有効なワクチンを指しますが、これは前述のとおり、パンデミックを引き起こすウィルスを元に作るため、パンデミックから6か月が経たないと用意ができません。そこで現時点、つまりパンデミックになる 「前」 という意味の 「プレ」 という言葉がついた 「プレ・パンデミック・ウィルス」 である、H5N1ウィルスを元に製造するワクチンのことを、プレ・パンデミックワクチンと言います。
プレ・パンデミックワクチンの候補としては、冒頭でもご紹介したH9N2、H1N2も当然ながら含まれますが、致死率という面での毒性が低いことから、あらかじめ接種する必要性があるかというと、それはNoです。
ワクチンも副作用がゼロではないことから、取捨選択することがベターです。 |
このプレ・パンデミック
ワクチンこそ、救世主となりうると考えられます。
ただし、「H5N1亜種のパンデミックウィルスに罹患したときに有効であるという可能性は100%ではない」 というのが、医療関係者の共通の認識のようであり、逆に、「このプレパンデミックワクチンを接種していれば、パンデミックウィルスに罹患したときの症状は軽くなるのではないか」 とする楽観的な見方も少なからずあるところに、わずかな望みをつなげています。
信じる者は救われる。
溺れる者は藁をも掴む
もしかしたら、ほとんどこういったことわざのレベルかもしれませんが、致死率62%に対する効果があるとするなら、ワクチンの接種ぐらいしておいてもバチはあたらないはずです。
諸外国の動きとしては、スイスでは、全国民分のプレ・パンデミックワクチンを軍の倉庫に備蓄しており、必要に応じ、ワクチンを接種するようです。一方、アメリカ合衆国も全国民分の備蓄をしていると書いている著者もいましたが、その方以外の意見としてはみつけられず、批判記事が多数でていますので、信憑性の確認が必要です。
日本政府は、2009年3月末までに、3,000万人分の備蓄を目指していて、パンデミックのときには、医者や保健所職員、税関職員など、感染者と接する可能性の高い人に接種することを検討はしているものの、スイスと比べて次のような差異がでています。
1.スイスのように全国民分の備蓄があるわけではない
2.スイスはパンデミックが危惧される場合にワクチンを接種するとしているが、日本はパンデミックの危惧もない時期(現状)での接種をすすめるような動きも見え隠れしている。
ではなぜ、このプレ・パンデミックワクチンを大量生産し、全国民に対し、事前に接種しないのでしょうか。それには手痛い過去の失敗からの反省があったようです。「新型インフルエンザ発生前のプレパンデミックワクチン接種は妥当か」 西村秀一氏(国立病院機構仙台医療センター 臨床研究部病因研究室長・ウイルスセンター長)を読むと、次のようなことが記述されています。
1.1976年のアメリカでは、豚型インフルエンザの流行が危惧されワクチンを投与したが、実際には豚型インフルエンザは流行しなかった。ところが、ワクチンの副作用もしくは、「紛れ込み」と呼ばれる無関係の症状により、なんらかの異常がワクチン接種と関連付けられ、マスコミの餌食になったため、4,000万人への接種を終えた段階で取りやめになったという経緯があり、これの再来により、ワクチンに対する信頼が失墜してしまうことを心配している。
2.現在日本でH5N1用として開発されているワクチンは、ワクチンの効果を示すHI抗体価という指標が、下限40倍に対し、15.9倍となっており、基準に達しておらず、海外のワクチンに比べ明らかに劣っている
項番2は理解したとして、項番1に対する疑問です。
さて、ここで大切なのは、何を守るかということではないかと思います。
確かにワクチンに対する信頼を得ることは、医療に従事する方にとっては最重要課題であることは理解します。しかし、いったんパンデミックを引き起こしたとしたら、そのときに失われる命と、比較することができるものか、ということです。こういった専門的なことについては、公の場を使い、きちんと議論を繰り返していただき、結論を導いてほしいと思います。
選択肢としては、2つあります。
1つめは、プレ・パンデミックワクチンの信頼を損なわないように、使い渋っておき、パンデミックになった際に、「打たずに死に至るよりも、ワクチンを打った方が生存確率が高くできる」 ということで接種を促す、という考え方。これなら、例え、ワクチンの副作用による異常が発生したとしても、ワクチンを打たないよりもマシという、わけのわからない言い訳を通せるので、医療側の立場が悪化することは回避できます。
しかしながらこの場合、パンデミックに罹患した人はアンラッキー扱いということになるでしょうか。病院に入院しても、呼吸器が不足することから、生きながらえられるかどうかは神だのみの状態になることが不可避だからです。
もう1つは、H5N1プレ・パンデミックワクチンを接種する考え方。この場合、項番1とは逆になり、0.001%程度で発生する副作用の症例に対応したり、訴訟を覚悟する必要があります。ワクチンを接種するメリットとしては、100%ではないにしても、なんらかの抵抗力の向上が期待でき、致死率を低減させる可能性があるということです。 |
ちなみに、こういった議論が十分に行われたとは言えない状況の中、プレ・パンデミックワクチン接種の優先順位が決められており、国会議員、国家公務員(警察・自衛隊)、医師、地方公務員、消防、ライフライン企業など、1,000万人がその対象。。。本当に副作用が心配なら、1,000万人はモルモット扱いなのか、もしくは選ばれた人たちということなのか、理解に苦しみます。少なくとも、こういった政策を自ら検討する国会議員が入っているところをみると、モルモットというようには考えにくいというところでしょうか。
なお、このプレ・パンデミックワクチンですが、費用面としては製造コストベースで1,200円だそうです。こんなに安いなら、前述の生活支援定額給付金の財源をあてることで、10回以上の接種が可能になるわけです。毎年接種することにしても、10年間は安心して暮らせるようになるわけですから、はるかに有効な使い道に見えます。
とりあえず、2009年2月11日時点の情報では、日本の厚生労働省は、現時点では「効くかどうかわからないワクチンを国民全員分準備する計画はない」としています。
当初、このページを作成するにあたり、プレ・パンデミックワクチンを全国民に接種していただきたいと考えていましたが、調査を進めるにつれて、反対の意見にも触れることができ、単純にプレ・パンデミックワクチンを接種することで解決するわけではないことを知りました。
改めて、篤姫の「一方聞いて沙汰するな」 のとおり、何事も判断する際には、双方の意見をきちんと聞いた上で、理解し、周囲の合意を得つつ、決定していくことの大切さを感じています。しかしながら、この反対意見を見聞きした今となっても、H5N1亜種ウィルスにむざむざとやられることを傍観することはできません。ワクチンの効能をさらに向上していただきつつ、そのワクチンの接種を分け隔てなく実施していただけるようになることを願ってやみません。
また、情報公開という意味でも、少なくとも今の段階では、専門家だけでなく、広く一般に対し、正しい情報を提供した上で、理解を促し、そのベースを元にしてプレパンドミックワクチンの接種を議論したという事実も見あたりません。もし議論済みだとしても、その経緯を十分に情報公開しているとは思えません。そういった意味では、今後の政府の取り組み方に期待したいと思います。
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